松本人志が父・譲一に対する想いとは?
このページは、ダウンタウンの松本人志さんが亡くなった父・譲一さんにたいしてどんな想いをもっていたのか。
そのことについて詳しくみていきたいと思います。
松本人志さんというと自身のご家族と度々テレビに出演しています。特にオカンが多いと思いますが、自身の「遺書」のなかでも話すように松本とオカンの間には、特別な絆で繋がっているのだそう。
やはりどこの家庭でも、いくつになってもお母さんという存在はとても大きく甘えたい存在なのでしょうし、逆に自分が大人になった時には必ず年老いた母親を大切にするんだ、守ってやるんだという感情が芽生えるのでしょうか。
その一方で、松本の父・譲一さん。父親とのエピソードというと、今まで一度も褒められたこともないし、仲も良いわけではないというものが多いです。一番印象的なエピソードは、夕方父はバイクに松本を乗せ、行くあてもなく走り続けた。
かなり走って辿り着いた場所は何もない広場。松本はそこへ自分を捨てに来たのかと思ったと話すほど。父親は、長男ばかりを愛し、他の子供はどうでもいいような発言を何の躊躇もなく発したといいます。
松本人志と父・譲一の確執
幼い頃に父親からそんな発言を聞いてしまったら、とても落ち込むと思うし、それ以上の言葉に出来ない感情に押しつぶされてしまうのが一般的だと思います。しかし、松本はそこから違いました。
その感情をバネにし、芸人になる道を突き進むことが出来たそうです。芸人になることをとても反対し、言い過ぎだろうと言うくらいに罵倒した父・譲一でしたが、実はそんな息子を陰ながら応援していたのです。
そして、松本人志さんの活躍をとても喜んでいたと松本の兄はブログで綴っていました。高校を卒業しすぐに吉本へ入り、数年で東京へ上京する事となった松本は、父親・譲一に対するわだかまりを解消していません。
むしろ解消しようとする気も無かったようにさえ思いますが、2014年の8月を迎えることとなったのでしょう。この月の18日に譲一さんは帰らぬ人となってしまいました。
葬儀も家族だけの密葬で滞りなく終えたことを「ワイドナショー」のオープニングで話しました。しかし、笑いに魂を売った男、松本人志。そんな事にさえ、笑いを交えてしまうのです。
ツイッターで垣間見えた父への想い
そんな松本を見た譲一さんはせめて天国では、『人志、お前は面白いな!』と褒めてあげてほしいなと願ってしまいます。譲一さんが亡くなった時の松本のツイッターが、とても涙を誘うものでした。
それはまるであの歌を聞いているかのような気持ちになりました。作詞が松本人志、作曲を槇原敬之が担当し、浜田雅功が歌った「チキンライス」です。葬儀のために尼崎へ帰省した松本。
父と訪れた太陽の塔を見に行き、チキンライスを食べるとさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがったと。この“来やがった”という言い回しに、涙を必死にこらえる松本が想像出来ます。
あれだけ不仲だと思っていた父親に対して自分がこんな気落ちになるなんて、自分自身でも少し驚いてしまったのと同時に、父親でこれくらいなら、オカンの時はこれの何倍になるのだろうかと考えてしまったようです。
家族の中での父親のポジション
家族の中で“父親”というポジションは、とても難しいものだと思います。その時代の父親は子育ては母親に任せっきりとなり、毎日仕事に追われ子供とのコミュニケーションをとる時間などなかったと思います。
子供と話すのは叱る時だけのようになってしまうと、どうしても嫌われ者の存在になりやすいです。しかし、2009年に独身貴族から卒業し家庭を築いた松本。一児の父親の今では、少し譲一さんの気持ちが理解出来るようになっているのでしょうか。
それとも、更に理解に苦しむものとなっているのでしょうか。男の子を持つ父親と女の子を持つ父親とは、また全く違うものなのかもしれませんが、人の親には変わりないですからね。
どんな時代背景であっても、血の繋がった親子関係には言葉では表現することの出来ない愛情を持っていて、どんなに親が反対していても子供のことをちゃんと応援してくれているものなのでしょう。
ただ人よりも愛情表現が苦手であった譲一さん。きっと誰よりも松本人志さんの活躍を喜んで、自慢の息子であると思っていたのではないでしょうか。
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