松本人志さんと島田紳助さんの本当の関係を暴露!
島田紳助さんは、1977年に紳助・竜介を結成します。一方の松本人志さんは、1982年にダウンタウンを結成しています。
1985年に紳助・竜介解散。この解散の理由は記者会見の翌日の新聞には、「このまま漫才を続けても、サブロー・シローらには勝てないから。』と書かれていました。
しかし、このサブロー・シローらの“ら”は、ダウンタウンのことでした。当時の彼らはまだデビュー3年目のド新人という事もあり、全くの無名でした。
このデビュー3年目の全く無名なダウンタウンをなぜそれほどまでに脅威に感じ、またそれを全国ネットで言えてしまったのでしょうか。松本人志さんがお笑い界に進むきっかけとなった人、それが島田紳助さんでした。
この男に憧れてお笑い芸人となる道をえらんだ松本人志さんですが、決して島田紳助さんに弟子入りしようとは思わなかったのです。もし、弟子入りしてしまったらどれだけ売れても師匠を抜くことを出来ないと思ったからです。
そして、同じ線上で勝負をしたかったのがその理由です。そもそも、「弟子入り」というものに疑問を感じていた松本人志さんには、師匠という存在はいません。逆に弟子をとることも当然していません。
島田紳助に弟子入りしなかった松本人志
お笑いの世界では一人一人が社長であるが故に、己のチカラでどう道を切り開くかを考えればいい。だから師匠と弟子の関係など必要ありませんでした。
紳助・竜介が解散して間も無く、島田紳助さんが創作落語の会に出ると言う情報を耳にして、松本人志さんは見に行くことにし、本番前の楽屋へ挨拶に行きます。初めてのことで緊張ぎみの島田紳助さんに対して、「頑張ってください!」と声をかけます。
しかし、島田紳助さんは「お前は来るな!プレッシャーをかけに来やがって!」と言ったそうです。周りの人たちはなぜ、このまだまだ無名な芸人が島田紳助さんにプレッシャーを与える事になるのか理解出来ないと言った表情をしていました。
プレッシャーにもなり、解散理由にもなってしまう松本人志さんという存在は島田紳助さんにとっては、とても特別な存在であった事には間違いなさそうです。
紳助・竜介が解散してからも島田紳助さんも松本人志さんもそれぞれの自分の番組を持ち、活躍して行く中でどちらかがどちらかの番組にゲストで出るなんて場面は記憶にないです。
二人の番組「松本紳助」がスタート
それくらい、島田紳助さんは松本人志さんをいい意味で恐れ、松本人志さんは憧れの人に会いたいけど会いたくないみたいな感情をもっていたのでしょうか。後に、2人が揃う番組「松紳」がスタートします。
この2人でトーク番組とは、どんな化学変化を起こすものなのかと期待されていたでしょう。やはりどのトーク番組にもない、噛み合ってないトーク番組となりました。
松本人志さんは島田紳助さんとはやりにくいと言い、島田紳助さんは自分の笑いは緻密に計算し尽くして作られた笑いであるがゆえに、言うタイミングを間違えたらもうそれはウケなくなる。
しかし、松本人志さんの笑いは全てがアドリブでその場その場で考えて生み出すものである以上、勝ち目はないと改めて感じてしまったのではないでしょうか。
その後、島田紳助さんは芸能界を引退してしまいましたが、2人の関係はちゃんと続いているようです。先日、紳助兄やんから来たメールが「ずっと見てるでぇ」だったと話してました。
そのメールの内容は、単純にずっと見てるから頑張ってなという意味合いだったようです。2人の本当の関係とは、単なる先輩後輩、憧れの人。と言うレベルのものではないのは確かです。
時に、共にお笑い界の時代を作った者同士、時に相手を脅威だと恐れた存在、やはりこの人が居なければ、今の自分は居ないと感謝する相手。それが二人の関係と言えるのではないでしょうか。
かつて、島田紳助さんが芸能界で運があるとすれば誰と同期であるか。それだけは運であると、明石家さんまさん、オール巨人さんのことを上げていますが、松本人志さんとの出会いも運の一つなのかもしれません。
いや、松本人志さんと島田紳助さんが出会った事は、単なる運ではなくお互いに笑いの頂点を目指しているものとして、お互いが引き寄せあった結果の必然だったのではないでしょうか。
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